貝原益軒の『養生訓』を読まれたことはあるでしょうか。
貝原益軒は、江戸前期から中期にかけての儒学者、医師である。
養生訓は、1713年に出版されてから、今日現在までも読まれているものである。
僕自身も強く思いながら、皆様にお伝えさせていただいている、養生すること、の大切さを、
養生訓のなかにある一節を借りて紹介させていただきます。
「慎病」
〜無病の時に〜
古い言葉に「常に病想を作す」というのがある。その意味は、無病の時に、病気の日の苦痛をつねに想像して、風・寒・暑・湿の外を防ぎ、酒食・好色の内欲を制し、からだの起臥・動静を慎めば病気にならないということである。また古詩に「安関の時、 常に病苦の時を思え」とある。その意味は病気がなくてのんきにしている時に、病苦をいつも思いだして忘れるなということである。無病の時に用心して、好き放題のことをしなければ病気にならない。これは病気がおこってから、良薬をのんだり、鍼灸をしたりするよりずっとよい。邵康節(宋代の学者)の詩に「その病んで後、能く薬を服せんより病前に能く自ら防ぐにしかず」とあるようなものである。
〜予防をしておけば〜
病気のない時に、予防をしておけば病気にならない。病気がおこってから、薬をのんでも病気はなおりにくく、なおるのもおそい。小欲を慎まないと大病になる。小欲を慎むのは容易である。大病になってしまうと苦しみが多い。前から病苦を想像して、あとの禍を恐れることである。
〜少し良くなった時に〜
古い言葉に「病は少しく癒ゆるに加わる」とある。病気が少しなおってくると、気持がいいものだから怠けて用心をしない。少し気持がいいからといって、飲食・色欲などを制限しないと病気はかえっておもくなる。少し良くなった時に、ますますかたく用心して、少しもすきをみせないと、病気は早くなおって再発しない。この時にかたく用心しないと、あとで悔やんでも無益である。
養生する、というのは簡単なようで難しい。
それには、作られた普通や欲、執着などがあるからだ。しかしながら、養生することのメリットとデメリットを考えれば、メリットを選ぶ他にない。
100点でなくていい。でも、常に養生することを意識していただければと思う。
尽力させていただきます。